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『蜻蛉日記』と藤原兼家④

2021年10月30日


 作者の夫である藤原兼家には2人の兄がいました。長男は伊尹(これまさ·これただ)で、「一条摂政」とも呼ばれた人物です。次男は兼通。「堀河の大臣」などと呼ばれました。彼らきょうだいの父(師輔)は早くに亡くなってしまいます。師輔のきょうだいたち(兼家らのおじ)と兼家らきょうだいは政権争いをしなければなりませんでした。長男·伊尹はそのような中で位を進め、太政大臣となります。しかし、その栄華は長くは続きませんでした。天禄3年、伊尹は病にたおれ、49年の生涯を終えます。次に権力を手にするのは次男·兼通です。
 兼通·兼家の争いについては面白い逸話が残されています。詳しい内容は別の機会に書きますが、伊尹薨去の時点では、実は弟·兼家のほうが兄·兼通より出世コースを歩んでおり、官職でも兼家が上にいました。しかし兼通は安子(『蜻蛉日記』と藤原兼家②参照)の生前、本人に頼んで一筆書いてもらっていました。その内容は、「出世は兄弟の順に」というものでした。この言葉をもってして、伊尹薨去の折に兼通が権力を手にすることができたというのです。この逸話の真偽は不明ですが、2人の仲の悪さが近い時代でも印象づけられていたことが推測できます。
 このような状態であった兼家と兼通ですが、実はこの時期の『蜻蛉日記』記事中に兼通が登場しています。下巻·天延2年(974)の記事です。描かれ方やその意味については別に考察するつもりですが、ほかのきょうだい(遠度)も絡んだ面白い流れになっています。ぜひいちど読んでみてください。


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